忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【長宗我部盛親列伝 -19-】

慶長20年(1615年)5月7日
若江・八尾の戦いの翌日に行われた天王寺・岡山の戦いは大坂夏の陣においての最終決戦となった。

しかし、先日の藤堂勢との戦にて再起不能状態であった長宗我部勢は参戦する事が出来なかった。


勝敗は豊臣軍の大敗北に終わる。

同日の夕刻(16時頃)には大坂城に火の手が上がった。
合戦は正午から始まったと記録にあるので、僅か3時間ほどで雌雄が決せられたのだ。
関ヶ原と少し状況は違うが、再び雌雄を決する戦いに参戦できずに盛親は敗戦の将となってしまった。


盛親は再起を願って大坂城から逃走した。
5月11日、京都八幡橋本近くの葦林に潜んでいた所を、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)家臣長坂三郎左衛門(ながさかさぶろうざえもん)に捕らえられた。
盛親は伏見に送られ京都を引廻され5月15日に京都六条河原にて斬首の刑に処された。
享年41歳であった。
元大名であった盛親に対して徳川が下したのは切腹ではなく斬首であった。
斬首とは罪人に対する処刑法である。

遺骸は京都蓮光寺に葬られた。