忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【盛親夫人と國照】

長宗我部盛親の妻は盛親の兄弥三郎信親の娘であった。
元和元年(1615年)5月、長宗我部盛親及び、その息子らは幕府への反逆罪により
京都六条河原にて斬首の刑に処された。
夫人は夫が徳川に捕縛された事を伝え聞くと、心を痛め京都まで上る旅路にでたが、
道中にて夫が処刑された事を聞かされた。

夫盛親の死を知った夫人はことのほか傷心して立てない程かな死んだが、
徳川よりの追っ手が迫る危険もあり、土佐へと逃げる事にした。

その間も悲しさの余り泣き続け、とうとう盲目となってしまった。
少人数の家来と愛犬國照(くにてる)は夫人と供に大坂より阿波へと上陸し、海部の浜に出る為、難所であった鉦打坂(かねうちざか)辺りで道に迷ってしまった。


何とか下原(しもばら)にたどり着いて休息を取れたが、そこで盛親夫人であることを知った卑しい輩達によって襲われてしまう。

瀕死の重傷を負ってしまった夫人らは那賀川(なかがわ)の溝に身を投じてしまった。

この時、國照は夫人の纏っていた血染めの羽織を身にまとって土佐へと走り出した。国照もまた傷を負っておりほどなく息絶えてしまった。
里の者は夫人を憐み、墓を作って供養した。
さらに元和三年には、故郷である土佐が観えるようにと後世山(ごぜやま)の山頂に神社を建立して祀った。
神社の狛犬を忠犬であった国照として共に祀った。

一方夫人を襲った輩の一族は代々盲目の子供が生まれてしまうと伝わった。

現在の徳島県阿南市福井町久保野にある後世神社は眼の病気にご利益があると崇められている。