忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【弟よりの刺客】ー津野親忠ー

1600年(慶長5年)関ヶ原での敗北から土佐に戻った長宗我部盛親は、
井伊直政よりの助言もあり、家臣たちを集めて大坂にて内府(徳川家康)に謝罪すべく
上坂について相談した。

「成り行きとはいえ、この度の事は致し方ない事である。今は一刻も早く大坂に上る必要がある。
また、大勢を引き連れていくのも印象が良くない。士80、兵180程とし、日限は10月1日とする」
概ねこのような事柄が決定し、皆々準備に取り掛かろうとした所で久武親直が歩み出てきた。

久武内蔵助親直は父元親の時代よりの重臣であった。
「上坂の儀、御意に存じ上げますが、その前に土佐にて行わなければならない事あり。」
と頭を下げた。
「内蔵助、我がなすべき事とは何ぞや」
盛親が聞くと親直は上目遣いに
「津野殿の御処分にござりまする。」
盛親はしばらく上を向いて考えたが頭をかしげて
「兄上が何ぞしたか」
と問うと、親直は
「津野殿は藤堂和泉守殿と御入魂であり、此度の件で土佐を御屋形様と津野殿で折半せよと取持ちされるに相違ございませぬ。まずは津野殿を亡き者とされ、後顧の憂いを無くされるが良策なり。」

話を聞いた盛親は顔を真っ赤にして親直を睨みつけ
「これはこれは、到底内蔵助の考えとは思えない愚策なり。
我が兄を殺してまで今の身を守ろうなどとはこの盛親、露にも思っておらぬわ。
此度の謝罪はただただこの盛親の不徳が招いた結果であり、公議よりの御赦免今と変わらず安堵とするは難解この上なし。
さらに我が兄を保身のために殺害したとあらば内府殿も我を生かして置くはずもなし」
と怒鳴って退座した。
その夜内蔵助は自宅で思案していた。
「盛親様は事の深刻さを理解成されておらぬか、若い故無理もない。
しかし、此度の進言は必ず津野殿の耳にも入る。そうなれば恨まれる事になるは必定なり。
我が立場も危うくなるのぉ。こうなれば密かに刺客を差し向け、盛親様には兄上は弟の身を
案じて自ら命を絶った事にすれば良い。」
と早速兼ねてより入魂であった津野藤蔵(つのとうぞう)に計画を話した。
賛同した藤蔵と二人で実行に移した。
まず盛親よりの使いを装って津野親忠の元へと遣わした。
使者は親忠に向かって
「御屋形様より津野様へ、関ヶ原での一件についてご相談されたいので赤岡まで急ぎ御足労願いたし」
と伝えた。
それを聞いた親忠はすっかり騙されて
「あい分かった、今こそ御家の一大事なり。この親忠、心底より手助け致さん。」
と急いで準備をし、赤岡へと向かった。
物部川のあたりで、再び使いが参り、
「一旦岩村の吉祥寺にて休息を取られよ」という事だった。
親忠はその言葉に従って吉祥寺に入った。

一行がしばし休息を取っていると突如親直と藤蔵が兵数百を引き連れて寺を取り囲んだ。
その音を聞いた親忠は寺の障子を空け
「内蔵助、これは何事ぞ!!」と叫んだ。

親直は抜いた刀を背中に隠すと跪き、
「御屋形様よりの命でこの久武内蔵助、津野様の最期を見届けに参りました。潔く御腹を召されませ。
解釈は不肖彦作が相務めまする。」

津野親忠はこの状況でも慌てず、親直を睨みつけながら
「その命は真に盛親が下したのか。甚だ疑念が残るが逆ろうた所で我を含め、この寺にいる全ての者を殺す気であろう。
されど、我に何の罪があるのか・・・
真意はどうであれ、実兄であるこの儂を殺して内府殿に謝罪しても赦免されるとは
到底思えぬがな。このような所業をすると長宗我部は家ごと潰されてしまうぞ。」

そう言うと、腹に脇差を突き立てようとした。
側の家来がその手を掴み。
「なりませぬ親忠様!御腹を召される必要など全くございませぬ。ここはこの卑しい裏切り者共を蹴散らして浦戸に出向き、
盛親様に真意をお確かめ下さるべし!」

と止めたが、静かにその手を外した親忠は
「お主らの言上最もなれど、この状況では間違いなく我らは皆殺しである。神妙なる志ではあるが、我が腹を切る以外
お前たちが助かる道は無し、我の分まで生きて親兄弟を大切にし、妻子を養ってやるがよかろう。」

と家来達に話をすると。再び親直らを睨みつけ
「内蔵助。我が腹を切ればこの者たちは見逃す旨努々(ゆめゆめ)忘るべからず。もちろんこの事は他言無用の事とする。」
親直は
「畏まって候。」
その言葉を聞いた親忠はニヤリと笑って。
「内蔵助、とくと我の最期を見届けよ!!」
そう叫ぶと腹を十文字に掻っ切った。
内蔵助が介錯の為親忠に歩み寄ろうとすると、親忠の家来達が行く手を阻んだ。

そして、郎党の久松源蔵が
「汚らわしいお主らに親忠様の介錯など決してさせぬ!この源蔵にお任せくだされ。」
そういうと苦しむ親忠を見事に介錯した。

そして、その解釈した刀を持ち換え、そのまま自分の喉に突き立てて主君親忠に覆いかぶさるように
うち重なって死んだ。

それを見た親直は眉一つ動かさず。
「残りの者も親忠殿の元に参るがよい。」
そういうと静かに手を挙げた。
その合図で周りの兵士が一斉に親忠の家来たちに襲い掛かり、皆殺しとなった。

後日内蔵助は盛親に嘘の報告をした。
びっくりした盛親は
「何と!?兄上が我の身を案じて切腹あそばれただと・・・」
と親直を問い詰めた。
「はい、間違いござりませぬ。津野殿の家臣も殉死なされました。」
しばらく考え込んだ盛親だったが、
「これはなんとしたことぞ・・・あの冷静な兄上がこのような所業なされるとは到底思えぬが、こうなっては
致し方ない。予定通り大坂に向かう。」