忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【長宗我部盛親列伝 -12-】

関ヶ原の戦後、日本は一気に豊臣色から徳川色に塗り替えられていった。
その様子を盛親はどのような気持ちで眺めていたのか・・・

たらればの話だが、もし、盛親が東軍として土佐に引きこもり西軍と戦ったなら、土佐一国は安堵され土佐長宗我部藩が誕生していたであろう・・・

浪人時代の詳しい記録はあまり無いが、1610年(慶長15年)には名前を
「大岩祐夢」と称して寺子屋の先生として子供らに読み書き等を教えていたと伝わる。

大岩祐夢の読み方だが、剃髪したと仮定すれば
「おおいわ」よりも「たいがん」もしくは「だいがん」がしっくりくる。
祐夢は「ゆうむ」と読むのが一般的であろう。


※一部の記録ではこのような事は書かれていないので信ぴょう性は定かではありませんがここでは寺子屋の先生であったという説を支持して記述します。