「般若心経~」12
「般若心経」について少しずつ私が勉強したことをお話しています。
今回は・・・
「不垢不浄」(ふー くー ふー じょう )
この個所も言葉の通り解釈するとよろしいかと思います。
「垢(く)」という言葉は仏語においては心を汚す不浄なもの(自分たちを苦しめる心)という意味になります。
「垢(あか)」とも呼び、身体についた汚れという意味でよく使いますよね。
仏教で心を汚すものの代表は「煩悩(ぼんのう)」です。
先ほども書きましたが煩悩というのは自分自身を苦しめる心(気持ち)をさします。
人間は考える生き物で、自分はこうなりたい、こんなことがしたいって日々思っていますよね。
全てが自分の思うようになればいいとは思うのですが、そうならないのが人生です。
・お金が欲しいと思った瞬間に目の前に100万円がドサッって降ってきますか?
・頭が痛くなった時に、治したいと思って直ぐに治まりますか?
自分の力ではどうしようもない事がたくさんありますよね。
そういった時人間は苦しみます。この心が煩悩です。
煩悩の数は仏教では108つあると言われています。
大晦日(12月31日)に除夜の鐘をボ~ン、ボ~ンって108回つくのは
108個の煩悩を鐘を突くことで消し去って来年は煩悩の無い1年になりますようにと
願いを込める為です。
次は「浄」ですね。
「浄(きよい)」とも言い、汚れていない状態を指します。
「清め」という字とほぼ同じ意味となります。
「不浄」という言葉は浄の否定なので「汚れている状態」
つまり
「不垢不浄」とは
「汚れ(煩悩)もなく、かといって清らかでもない」
と解釈しました。