忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【長宗我部盛親列伝 -02-】

1585年(天正13年)悲願であった四国統一を成し遂げた直後に天下の実権を事実上手に入れた羽柴秀吉豊臣秀吉)によって僅か数ヵ月で征伐されてしまった。
元親は秀吉に降伏し、土佐一国のみの大名となった。この時千熊丸は8歳、幼心に父の敗北はショックであっただろう。

五郎次郎の香川家は秀吉の命で改易となり人質として大和郡山に送られたが、翌年1586年(天正14年)に岡豊に帰って来た。
孫次郎もまた人質として豊臣家に預けられることになったが、こちらは戻されなかった。

1587年(天正15年)元親が絶大な信頼を寄せていた自慢の嫡男弥三郎信親が九州征伐の折、
戸次川(へつぎがわ)にて討死した。享年22歳であった。
元親の傷心ぶりは常軌を逸し、信親討死を聞いた秀吉ですら元親に気を遣う程だった。

最も大事な後継者を失った長宗我部家は大混乱に陥った。
家中では次男五郎次郎親和を後継ぎに担ぐ一派、三男孫次郎親忠を推す一派、そして四男千熊丸を推す一派に分裂した。
弥三郎信親は名実共に最強の跡取りであり家中誰もが認めていた。どの弟たちも兄に比べると見劣りするが、致し方ない。
豊臣家からは通例に従い次男五郎次郎を跡継ぎにするようにとあったが、父はこれを断った。