忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

土居宗珊

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〇 【土居宗珊】(どい そうさん)

〇 1512~1572
宗珊は土佐一条家の家臣です。
非常に優秀な武将として名高く、他の家臣からの信頼も厚かった宗珊ですが、本人の一条家に対する忠誠心も事実上のナンバーワンです。
しかし、非情な事に君主である一条兼定は基本的に自由奔放で、和歌や蹴鞠、狩りや酒宴などの娯楽が大好きで、あまり政治を好んで
しませんでした。
宗珊はことある度に兼定に対して諫言(かんげん)しますが、五月蠅がって一向に心を入れ替えません。
それどころか、兼定の怒りを買ってしまう結果となり、とうとう手討ちにされてしまいました。

○土居宗珊をかんがえる
長曾我部元親の勢力が大きくなり、安芸国虎を倒した次のターゲットとして領地を脅かされる中、当主である兼定は一向に脅威と考えず
遊び惚けていました。見かねた宗珊は一条家の為にあえて耳の痛い話を再三宗珊に対して行いました。
伊予国大森城主であった、「土居清良(どいせいりょう)」の姉婿であったと言う説が一般的です。ちなみに名前は「土居近江守家忠(どいおうみのかみいえただ)」。
手討ちにされた原因としては、いくつかあり。
諫言に対して兼定の怒りを買った結果という説。これが一般的です。
元親の計略により長宗我部と内通しているという噂からの処置(これは本当に内通していたかも・・・)
一条家の内紛による混乱から亡くなった(これは殺害された説)等があります。
どちらにしても大黒柱であった宗珊を失ったダメージは大きく、その後は一気に一条家は駆逐されてしまいます。