忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

(4)元親の計略

実は讃岐の城が簡単に落ちていったのには理由がありました。


元親は戦力を植田城に集結させ、簡単に城が落ちることによって油断した黒田軍を植田城に引き付け、その隙に白池城(徳島県三次市)に居た主力部隊が背後から叩く作戦だったのです。


しかし、軍略に優れた官兵衛には通用しませんでした。

官兵衛は予め地元の領民らに植田城の状態を聞き、城の堅固さや兵数を把握していたのです。

籠城する城をわざわざ攻める必要も無い訳で、官兵衛は植田城を華麗にスルーしました。

計略を見破られた元親は悔しそうにこうつぶやきます。

「秀家(宇喜多秀家)や秀久(仙石秀久)のような小物ならば欺くことも容易(たやす)く、赤子の手をひねるが如くであったろうに、黒田官兵衛なる切れ者によって見破られた事は痛恨の極みである・・・」