忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

吉田貞重

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〇 【吉田 貞重】(よしだ さだしげ)

〇 生没年不詳

貞重は長宗我部家臣「吉田 考頼(よしだ たかより)」の長男として生まれました。
父と共に元親を助けて武功を挙げます。
1569年、「安芸国虎(あき くにとら)」との戦い(八流れの戦い:やながれのたたかい)にて、左目を槍で突かれ重傷を負ってしまいます。
かろうじて命はとりとめますが、隻眼となってしまいました。
その後も変わらぬ戦働きをして、元親の四国制覇に貢献しました。
1600年、関ケ原の戦いにて長宗我部家が改易となると、浦戸一揆が起こりました。
重臣たちが一揆を支持するか否定するかの議論では、貞重の強い意見により、鎮圧することに決まりました。
浦戸城の開城を勧め、山内家を迎え入れると、その後は山内家ではなく信濃国高遠藩保科家に250石で仕えました。

〇吉田貞重をかんがえる

父の代からずっと長宗我部に忠誠を誓っていた貞重がなぜ浦戸一揆を否定したのでしょうか。
それは、「盛親(もりちか)」が兄である「津野 親忠(つの ちかさだ)」を結果的に殺害してしまった事に対する
反感からであったと言われています。いくら主家でも、人道に外れた行為をした主君に対しては許せないものがあったのでしょうね。
貞重は囲碁の名手であったという逸話もあります。「せんの次郎左衛門」という渾名(あだな)を付けられる程でした。