忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

天竺花氏

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〇 【天竺 花氏】(てんじく はなうじ)

〇  生没年不詳

花氏は土佐大津城主(現在の高知県高知市大津)でした。
長宗我部家の居城岡豊城とは目と鼻の先に合って、大津城からすると岡豊城に見下ろされているような位置にあります。
1547年、岡豊城で再興された「長宗我部国親(ちょうそかべくにちか)」は、領土を拡大させようと、花氏が居る大津城を攻略し始めます。
花氏も応戦しますが、数で勝る長宗我部軍の前に敗退し、落城してしまいました。
花氏は混乱の中讃岐国香川県)へと落ち延びたと言われていますが、生死も踏まえて不明です。

〇天竺花氏をかんがえる
戦国時代の高知市大津周辺は海であった事から、大津城は水城でした。現在は埋め立てられて平野となっています。
大津城はその後、「一条内政(いちじょうただまさ)」が中村よりこの地に移り住み「大津御所」とよばれるようになります。
大津城跡の山頂には「古城八幡宮」があります。
古城八幡宮の西には「天竺神社」があり花氏を祀っていることから、讃岐に逃げた説は信憑性が余りありませんね・・・
天竺氏は土佐守護代細川一族だと言われています。
守護代とは幕府の直轄領において土地を管理する代官を指す。
土佐国細川氏守護代であり、代々「遠江守(とうとうみのかみ)」を名乗っていた事から「遠州家(とうしゅうけ)」とも呼ばれています。
応仁の乱で東軍大将であった「細川勝元(ほそかわかつもと)」を援護する為に土佐守護代細川勝益は上京します、勝益の後を継いだ政益、その後の国益も大人の乱の混乱によって上京するので、実質守護代不在となってしまいます。天竺氏は室町幕府守護代の後ろ盾を無くした結果となり、その影響力や軍事力は弱体化したと考えられます。
長宗我部からすると近くにいる天竺氏の状況は手を取るように分かっていたと思われますので、標的にされてしまったのでしょうね。