忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集等です。

【長宗我部盛親列伝 -15-】

大阪冬の陣においては、谷町口(大阪城の南)に佐野道司、栗谷元種、大谷吉治らと
共に布陣した。
近くに有名な真田丸もあった。
これは真田源次郎のみで徳川軍を釘付けにし、大損害を与えたと思われがちだが、
実際には真田丸の半分ほどは盛親の手勢が着手していた。
12月4日には真田丸にて井伊直孝(いいなおたか)や松平忠直(まつだいらただなお)の軍勢に大損害を与えた。
冬の陣では終始優勢に戦っていた豊臣軍だったが、徳川方の用いた大筒(おおづつ)の玉が大阪城天守に命中すると恐れおののいた淀殿らによって浪人衆の知らぬ間に徳川方と和議を結んでしまった。

豊臣上層部の勝手な和議に盛親ら浪人衆は困惑するが、しょせん雇われの身の為どうする事もできなかった。
和議の条件は大坂城の外堀を埋めるなどの条件があった。
しかし、実際には外堀だけでなく、内堀もすべて埋められてしまった。