(9)降伏後の四国
降伏した元親は土佐一国が安堵されます。
阿波一国は蜂須賀家政に与えられました。
本当は蜂須賀小六に対してだったが、小六が太閤の側で働きたいと言ったため息子が受けることとなりました。
讃岐は「仙石 秀久(せんごく ひでひさ)」が大半を、一部「十河 存保(そごう まさやす)」に与えられました。
伊予は大半を小早川隆景に与え、一部を「安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)」等に与えられました。
元親の四国統一はその余韻に浸る間もなく幻の如く消えてしまったのでした。
講和条件は
一、長宗我部、土佐一国の安堵
一、当主自らが率いて参戦命令がある度に兵3千による軍役
一、人質の提出
一、徳川家康と誼(よしみ)を通じることを禁止する
でありました。