1585年(天正十三年)
元親は伊予湯築城(いよゆづきじょう)にて河野通直を破り、四国統一を成し遂げた。
しかし、時の覇者である羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、元親の四国統一を認めることなく一方的に讃岐、伊予を割譲(かつじょう)し、秀吉に降伏するように迫ります。
【割譲とは自国の一部を他国に譲り渡すこと】
当然元親はその要求に反発し、
「伊予一国なら割譲する。」
と返答しました。
秀吉からすると当然の反応であったと推測されます。相手が拒めば攻め滅ぼす大義名分が立ちます。
直ちに秀吉は『四国征伐』を決定し、「黒田官兵衛(くろだ かんべえ)」に先鋒を命じました。