忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

石谷頼辰

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〇 【石谷頼辰】(いしがい よりとき)

〇 生年不詳~1586

頼辰は美濃国「斎藤利賢(さいとう としたか)」の長男として生まれました。
母の再婚相手であった「石谷光政(いしがい みつまさ)」の養子となって、娘を嫁にします。
その後は将軍「足利義輝(あしかが よしてる)」に仕えます。
その後義輝が暗殺され、15代将軍「足利義昭(あしかが よしあき)」が「織田信長(おだ のぶなが)」によって追放されると、「明智光秀(あけち みつひで)」に仕えます。
1583年、山﨑の戦い(天王山)にて主君光秀が敗北すると、頼辰は土佐へと落ち延びました。
その後は長宗我部家に仕えます。これまでの経験を買われて重用されます。
娘は「長宗我部信親(ちょうそかべ のぶちか)」に嫁ぎました。
1586年、戸次川の戦いで、娘婿である信親と共に討ち死にしてしまいました。

石谷頼辰をかんがえる
頼辰と元親との関係は、元親の妻が頼辰の義理の妹になります。
ちなみに弟は明智光秀の重臣「斎藤利三(さいとう としみつ)」、妹は「蜷川道標(にながわ どうひょう)」の妻になります。
この縁もあり、長宗我部家と斎藤家、ひいては明智家とも交流が盛んでありました。
元親としても、本能寺の後で明智光秀が天下を取ってくれていたら申し分なかったでしょうね・・・
溺愛していた嫡男信親の妻に頼辰の娘を選ぶあたりも、頼辰を最上級に重く迎え入れていた証拠でしょうね。