忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

土居清良

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〇 【土居清良】(どい きよよし)

〇 1546~1629

清良は伊予国西園寺家家臣、「土居清晴(どい きよはる)」の三男として生まれました。
伊予宇和郡にて生まれましたが、1560年には伊予への大友家侵攻で、父等が戦死すると一家は没落してしまいます。
清良は15歳で土佐一条家の被官となりました。
一条家の土居宗珊の保護を受けました。
※被官・・・広い意味での従者(家来)の事


一条家でその力が認められると、伊予国への帰還が認められ、伊予大森城主として三間3村の領主となりました。
その後一条家から離れた清良は西園寺家に属します。大友家、一条家、長宗我部家の相次ぐ侵入を防ぎました。
清良は配下全員に鉄砲を装備させたりと、当時の四国においては異例の戦術を取っていました。
1581年には長宗我部の大軍を岡本城にて迎え撃ち、長宗我部家老の「久武親信(ひさたけちかのぶ)」を討ち取りました。

1587年、秀吉の四国征伐に際し、「小早川隆景(こばやかわたかかげ)」から所領を安堵されましたが、小早川家の九州転封に伴って
下野します。その後の領主となった藤堂家よりも再三士官の誘いがありましたが、断って帰農しました。
そして、1629年に死去しました。享年83歳でした。

土居清良をかんがえる
清良は画期的な戦略、知略を用いて領内の守備防衛に勤めました。
当時鉄砲は非常に高価な武器だったので、一部の大名を除いては殆ど持っていませんでした。
1500年代では、主大名の鉄砲所有率は大体10~20%くらいだと思ってください。
その中で、土居清良の舞台は鉄砲所有率100%だったとの事ですから、ダントツのトップですね。
清良は甲賀より鉄砲鍛冶師を招いて、兵士たちに銃を配備させています。
鉄砲は殺傷能力だけでなく、その音だけでも、敵兵や軍馬を混乱させたと言われています。
馬は臆病なので、鉄砲の音だけで、暴れだします。
さらに、農地改革として、農学者である「松浦宗案(まつうらそうあん)」を招いて農業の研究を行っています。

清良配下の兵士は石高から考えても500名程度だったと推測されますが、その分経済的にも乏しいはずなので、
500挺もの鉄砲を揃える事自体通常ならばありえないです。

小早川隆景からは
「清良を五か国の大将にすれば天下統一ができる」と賞賛したと言われています。

個人的にはなぜ藤堂高虎の誘いを頑なに拒んだのかですが、彼は立身出世よりも、ただ、故郷を守りたいと言う
一心からこれまで外敵とと戦ったのではないか、
そして、天下が統一されて故郷が脅かされる不安が無くなったと判断したのではないでしょうか?

元々農業の素晴らしさを研究していたので、性格的に武士よりも農家(百姓)を選んだだけかもしれませんね。
自由奔放に晩年を過ごした彼は、きっと幸せだったのではないかと思います。