忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

香宗我部秀通

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〇 【香宗我部秀通】(こうそかべ ひでみち)

〇 1510~1556

秀通は土佐国香美郡を拠点としていた香宗我部家当主「香宗我部通長(こうそかべみちなが)」の次男として生まれました。
1526年、対立していた安芸氏との戦いにおいて兄「親秀(ひかひで)」の嫡男「秀義(ひでよし)」が討ち死にしてしまうと、兄は戦意を失い、秀通を養子として迎えて家督を継ぎました。
秀通の奮闘も虚しく、香宗我部家を取り巻く環境は厳しく、勢力が衰えていきます。
近隣の長宗我部氏、安芸氏、本山氏等と対等に戦う力はもはや残っていませんでした。
そういった劣勢の状況でも秀通は何とか対抗しようと頑張ります。
しかし、信頼していた兄は秀通に無断で「長宗我部国親(ちょうそかべくにちか)」と交渉して、国親の三男「親康(ちかやす)」を養子に迎えて勝手に秀通を隠居させようと企てます。
対する秀通は当然猛反対しますが、1556年に暗殺されてしまいました。享年46歳でした。

 

〇香宗我部秀通をかんがえる
兄との関係までは歴史書物に詳しく書かれている訳ではありませんので、定かではありませんが何とも自分勝手な兄に対して不信感を抱いていたと思います。家督を継いだくらいの時はなんとか香宗我部を反映させようと兄と共に頑張ろうとしたはずですが、隠居の身ながら気持ちは当主のままであった兄に翻弄されてしまい、何やら可愛そうな気がします。
男としてのプライドを掛けて長宗我部と対立しようとした矢先の暗殺・・・何とも言えません。
兄は兄で強い想いがあったでしょうが、武家の世においては非常に弱々しい決断ですね。
秀通に殉死した家臣もいた事から秀通自身の人望も信頼もあったと推測されますので、決して弱い武将ではなかったはずです。