忠兵衛ぐでんぐでん日記

高知の歴史好きが作ったプチ武将列伝&ざっくばらんな話集です。

比江山親興

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〇 【比江山 親興】(ひえやま ちかおき)

〇 生年不詳~1588

親興は「長宗我部 国親(ちょうそかべ くにちか)」の弟である「国康(くにやす)」の次男として生まれました。元親の従兄弟になりますね。
拠点が土佐国比江山城主(高知県南国市比江字城山)であったので、「比江山」と名乗りました。

1585年、秀吉の『四国征伐』では阿波国岩倉城を守っていましたが、敵方の攻撃を防ぎきれずに降伏し、土佐へと帰還してしまいました。
1588年、九州戸次川(へつぎがわ)の戦いで元親の長男「長宗我部 信親(ちょうそかべ のぶちか)」が死去した為、跡継ぎ争いが勃発。
元親は四男千熊丸(後の盛親)に家督を譲るとしたが、親興は次男である親和を後継者とすべきと諫言(かんげん)しました。
しかし、元親の怒りを買った親興は自害してしまいました。
妻子に関しても元親は捕まえて処刑してしまいます。
『七人みさき』の伝承が残っています。

 

〇比江山親興を考える


四国征伐以前より、長宗我部軍の戦力として貢献しています。資料としての登場は遅いですが、四国統一に間違いなく力を発揮していたことでしょう。
つくづく戸次川が悔やまれます。
親興は元親の衝動を何とか抑えようと必死に諫言した事が仇になったのでしょう。
最愛の息子を失った悲しみは元親を鬼に変えてしまったのかもしれません。
怒りの矛先が自分の考えを否定する親興らに向いてしまった事は、残念でしかありません。
高知に今も伝承されている『七人みさき』、有名なのは「吉良 親実(きら ちかざね)」ですが、親興も同じく七人みさきになったといわれます。


高知以外でも広島にも伝承があるので、中四国地方のお話なんだと思います。

 

『七人みさき』とは
無念の死を遂げた人の怨念が7人1組として海辺や川岸等の水辺に現れます。
七人みさきに出会ってしまうとその怨念から高熱に見舞われ、死亡してしまいます。
1人殺すと7人の内1人の霊が成仏します。そして、殺された者が七人みさきの1人になるので、
永久に増減しません。