【兼定 と お雪】
一条兼定とお雪の切ない物語を紹介します。
時は1571年ごろのある日のこと、兼定は鷹狩りをして遊ぼうと平田村(現在の高知県宿毛市平田町)まで足を運びました。
遊び終え、喉が渇いた兼定は休憩しようとで百姓源右衛門の家に立ち寄り、お茶を出すように言います。
すると源右衛門の娘、お雪がお茶を差し出しました。
兼定はお雪を見た瞬間に一目惚れをし、歌を詠んで渡しました。
「汲みてこそ 水はやさしきものと知る 流れの末に 逢はんとぞ思ふ」
(水というものは汲んでみて初めて優しい(潤しい)ものと知った。流れの末(下流)に行ってでもでも逢いたい思っている)
お雪は兼定の真意を理解して、次の歌を返しました。
「谷川の 水はやさしきもになるに 君が情けを くみて知らるる」
(流れの末では無く、谷川の水でも優しいものとなるでしょう あなたが情けを掛けてくださるのならば・・・)
この出会いを境に兼定は頻繁に鷹狩りと称して平田村に足を運んでは源右衛門の家に泊まるようになります。
当然政務などはそっちのけです。ついにお雪に為に豪邸を建ててしまいました。この豪邸は「平田御所」と呼ばれました。
当然の如く家臣たちは困り果てます、長宗我部の魔の手が一条家の領土に迫っていたからです。
家老で重臣の土居宗珊は
「お雪を中村御所にお召しになってはどうでしょうか?」
と諫言(かんげん)しましたが、党首である兼定は
「政(まつりごと)はお前たちが好きなようにせよ」
と、家臣に丸投げしてしまったのです。
※諫言・・・目上の人の過失などを指摘して忠告する事。いましめる事。
このままでは一条家が滅亡してしまうと嘆いた宗珊はついに命がけでこう言います。
「遊蕩(ゆうとう)を止めるか、この宗珊の首を刎ねる(はねる)か、どちらかを選んで下さい。」
※遊蕩・・・遊びまくっている事。
普通、ここまで家臣から言われたら考え直すものですが、なんと兼定は宗珊を処刑してしまいました。
この事件は一条家家臣に衝撃を与えます。
とうとう兼定は、平田御所に向かう途中で捕らえられ、中村御所へと幽閉されてしまうのでした。
そして、隠居を強要され、嫡男である内政に強引に家督を譲らせたのです。
この一報を聞いたお雪は大いに悲しみ、
「再び兼定様にお目にかかる事も叶わなくなっってしまった、もう生きている意味もないわ・・・」
と四万十川の淵(ふち)に身を投げたと言われます。
引きあがれれたお雪の姿は見るも無残なものだったと言われています・・・
今でもお雪が入水した場所に供養塔が立っています。
※淵・・・深い水たまり。
一方幽閉中にお雪が死んだことを聞いた兼定は嘆き悲しんだ後、悼み(いたみ)の一句を詠んだと言います。
「あかざりし 人の眉根にたくへても 名残ぞ惜しき 三日月の影」
(想い人の眉の形によく似た三日月を眺めていると、愛らしいあなたの面影が浮かんできて、何とも名残惜しい気持ちにってしまう・・・)